あけましておめでとうございます [今を考える]
昨年は、学び多き年でした。
今年は、明るく元気な一年となりますように。
これまで、様々な方に助けられ、導かれ、今があることに感謝しています。
そしてまた、ここから、さらに前に向かって行ける事を幸せに感じています。
心の中にある、いろいろな想いを、ここで上手く語ることは出来ないけれど、
この一年は、自分の内なる宇宙を見つめる年にしたいと思います。
そして、何があっても、全ては正しき方向へ動くことを信じています。
相変わらずのスローペースですが、どうぞ、末永くおつきあい下さいませ。
ぐるぐる。もやもや。だらだら。 [今を考える]
4月のカレンダーをめくってみたら、思いがけず予定がいっぱい入ってました!
3月は苦しく、もやもやと、引きこもりがちなキモチで過ごしたのですが、
これからは行動の時!でしょうか。
繰り返しになりますが、かねてより、私がライフワークとしていることは、
ものごとの、本質に触れたい、出来れば何でも作ってみたい、
本当の幸福感は、そんなささやかで、なんでもない充足感から来ること、
そして、人にゆだねず、なるべく自分で作ることを同じように追求しつつ、
一人、立っている誰かと、その思いを共有したいというところにあります。
思想や信念とやらとは程遠く、今日を喜びで満たすためのものでしかない。
ただ、その小さな喜びは、周りにわずかながらの変化をもたらし、
自分のために何かを追及することは、自分のためだけに終わらない気がしています。
そしてまた、その嬉しい変化は世界に拡がり、自分に帰ってくるわけで、
こうなると、どちらにせよ、何をしても、
自分のための活動であることは間違いありません。
この思いや迷いを共有できる人と出会い、共に喜びの種を蒔きたくて、
布ナプキンや、手作り生活の普及などのために手作り市に参加しています。
その展示内容から、エコロジストと思われがちなんですが、
結果としてそんな要素が多くなるだけで、
実のところ、本人は、「エコ」って言葉がウソっぽくて、苦手だったりするのです。
(ただし『エコ・ナプキン』の『エコ』は、ただの布ナプキンと
区別するためにつけられた固有名詞なので例外ですが・・・。)
自然や地球は、ヤバイと思えば、ちゃんと自分で回避するはずで、
人類との付き合いも、彼らにとってはほんの一瞬のことでしかない。
エコロジーって言うのは、自然や地球からの観点ではなく、
人類が排除されないための「究極のエゴ」であったり、
今や、新たな経済効果をもたらすキーワードでしかないのかもしれません。
もちろん、その言葉や人としてのありかたの本質を感じ、
めざす人たちの存在は救いと感じるものの、
無人島や未開の奥地で、他者とのつながりを持たずに生活でもしない限り、
その本質ははるか彼方にしかないようにも思えます。
たとえ、個人がその領域に達したとしても、
他の人々から切り離されただけのことで、世界は現状のまま動いているなら、
それは、本質といえるのかどうか・・・。
森林は伐採され、遺伝子は組み換えられ、争いは絶えることなく・・・
都会に暮らしながらはもとより、経済活動を伴いながら、
または、都会とのつながりを保ちながらでは、矛盾が生じます。
生命維持のみに今日を生きる以外何もしない事を自然だとすれば、
何かしたい、日々考え、こうありたい、発展したいと願う人類という生き物には、
到達不可能な絵空事、机上の空論にも思えてきます。
また逆に、人類は、考え、発展することこそ自然な姿とも言えるわけです。
しかし、その、「発展」の質や方向性を、物質に求めるではなく、
別のもの・・・精神的なものなどに置き換えることは不可能でしょうか?
まだ、ここで、私がこうして悶々と自己矛盾の中で考えているのも、
これまでの人類の歴史に自らを縛りつけ、逃れられずにいるのかもしれません。
まぁ、全てをプチッと削除して、自分の楽な方向へ行くのも、
一つの手としては、簡単に考えられるのだけど、
私の場合は、自分だけがそうして、外部とのつながりを絶ったとしても、
この世界中の矛盾は増すばかりと思われ、
そこを解決(納得)できると確信してからなどと思ってしまう。
そう、どんなに逃げても、黒い雨が降る可能性は消えないのです。
まったくめんどくさい。困ったもんです。
自分も含め、そんな自己矛盾の中で生きている多くの人がいることも、
今までの活動の中で感じています。
そして、「多くの」とはいってみたものの、
それは、まだほんの一握りだということも。
それでも、何か動いてみることで、気づきや発見、ひらめきがあるかもしれない。
みんなの意識が変われば、何かが変わるかもしれない。
誰もがそんな希望の中で、今回の震災や原発の行く末を案じている。
変わるなら、今、日本からでしかできないと、感じているのだけれど、
何が出来るのか、凡人の頭では復興支援以外には考えつかず・・・
私は、今回、どうしても、「お見舞い申し上げます」とは思えなかった。
自分自身が、というか、日本人、いやいや、人類そのものが被災した感じがした。
友人や親戚に被害は無かったにも関わらず、辛くて悲しくて、涙が止まらなかった。
地震や津波だけであれば、圧倒的な自然の中のちっぽけな人類を自覚し、
前を向いて、さらにパワーアップし、乗り切れたはずなのだけど、
原発があったがために、その現状が私達に重く大きくのしかかっている。
実は東電のせいでも、国家のせいでもなく、私たちが選んできたことの結果。
表面上の批判だけで、現実的な具体策につながることは無く、
方向性も、責任も、誰かにゆだねてきた結果でしかない。
私が、そして、あなたが、みんなが、もっと真剣に取り組んでいれば、
もしかしたら、既存のものではないエネルギーを見つけられていたかもしれない。
または、原子力というものを完全に安全な活用(?)に
つなげることができたのかもしれない。
あるいは、ほんの少しのエネルギー消費ですむような、進むべき道を、
誰もがわかりあえる形で、示せたかもしれない。
奪い合うのではなく、分け合う心に、もっと早く気づけたかもしれない・・・
でも、「震災」は人間サイドの価値観で、単なる自然現象。
そうなると、今回、本当は我々が加害者で、被害者は「自然」だといえます。
そこのところを、痛感させるために、起こった事なのかもしれません。
だけど、具体的にどうしたら、いいのだろう?
誰もがぶつかる問題は、そこかも知れません。
やらねばならないことって、なんだろう?
すぐに行動できないスローペースな私自身が、大問題なのですが。
人類の存在は、この地球が宇宙に存在することさえ、一瞬のことだったとしても、
そこには、かけがえの無い命がある。
だからこそ、みんな、今あることの喜びを追求しているわけだけど、
それは、あるけれど、本当は無いもの。
地球は、自然も、人類も、命も、ウランも、放射能も、
見えるもの見えないもの、何もかも全部をあわせての地球だし、
宇宙に拡大すれば、気が遠くなってしまう。
形を変え、性質を変えているだけで、どれもがイコールでつなぐこともできる。
・・・。
・・・・・。
・・・・・・・・・。
ここまでくると、だんだん、どうでも良くなってきてしまいます。
で、とりあえず全てをDeleteして、また最初に戻る・・・
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ちょっと、ちょっと!
今大切なのは、そんなぐるぐる話とちごて、具体策やろがい!
動けよ、お前!
あ。皆さんからの声も聞こえて来たような・・・
・・・そんなわけで、今日のぐるぐる・もやもやは打ち止め!終了!
長々と、どうも失礼いたしました。









